心のバリアフリー、こばちゃんが教えてくれたこと               四年 菊池 真生  テレビで観た、世界せん手けん四連ぱをはたしたパラクライマー・小林幸一郎せん手に会える! わたしは、むねをドキドキさせながら高田馬場駅に向かった。  けれど、待ち合わせのかい札口に小林さんのすがたはなかった。 小林さんは目が見えないのだから、わたしが見つけなくては!とあせって、家族で駅こう内をきょろきょろさがし回った。 すると、駅係員にゆうどうされて小林さんが歩いてきた。 「小林さん!」 思わずわたしは声をかけた。 小林さんは、わたしに気づいて足を止めた。「はじめまして。ぼくをお店まで連れて行ってくれますか。」 小林さんはやさしい口調で話しかけてきた。 てっきりガイドさんといっしょにいらっしゃるのかと思っていたので、わたしはおどろいた。会ったこともない、たよりない十さいの子どもにガイドをたのんでくれるなんて! 「はい!」 目が見えない方のゆうどうは、今回が二回目だ。どきどきしながら、小林さんの手の近くにわたしのかたを差し出した。小林さんは、わたしのひじの上あたりを持った。  体のどの部分を持ってもらうかは、人によってちがうらしい。目が見えない方との身長のバランスで、かただったり、ひじだったりする。 「あそこを曲がる。」など、あいまいなあん内ではだめだ。 「何歩先を右に曲がる。」、 「何メートル先にふみ切りがある。」など、具体的に説明するのだ。 あと何メートルなんだろう。 わたしの歩はばと小林さんの歩はばはちがうから……。 と、こまってしまってなかなか言葉が出てこない。  それでも小林さんは、ぐんぐんついてきてくれる。どちらかというと、わたしが小林さんに後ろからあん内されている感じだ。 街の様子や景色も具体的に伝えると、目が見えない方も楽しく歩くことができる、と前に教わったが、そのよゆうは全くない。 何と、お店は二階にあった。 去年ゆうどう体験で階だんののぼりおりもためしてみたが、実さいに目が見えない方と階だんを歩くのは初めてだ。 わたしの心配をよそに、小林さんはカンカンカンと白杖を階だんに当てて、スタスタのぼっていく。むしろわたしよりも速いぐらいだ。 「ぼくは階だんの方が良いですが、エレベーターやエスカレーターの方が良い人もいます。」 たしかに、前にさん加した交流会で、 「アナウンスが聞こえづらいエレベーターでは、ドアが開いた階が何階かわからなくてこまる。エレベーターまでガイドして、はい、さようなら、といなくなってしまうのはやめてほしい。」 とか、 「エスカレーターのおりるタイミングがわからなくてこわい。」 とか、様々な意見が出ていた。気持ちの良いゆうどうのされ方は、人によってちがう。毎回その方に、一番安心できる方法をかくにんするのが良さそうだ。 ちなみに、白杖を持っている方を街で見かけたら、 「何かお手伝いすることはありますか。」 と声をかけるのが良いそうだ。とつぜんさわったり白杖をつかんだりすると、目が見えない方をおどろかせてしまうことになる。 ようやくレストランに到着だ。駅から五分もかからないきょりだが、自分のペースで自由に動き回れない小林さんは、わたしよりもっと長く感じたのかもしれない。  今度は注文だ。小林さんのためにメニューを読む。 小林さんは、プリンとコーヒーをたのんだ。 しばらくするとプリンが運ばれてきた。 「プリンは、小林さんの体の十二時の方向にあります。」 以前習ったことのある「クロックポジション」を使って、食べ物の場所を得意気に伝えた。 「おっ、よくわかってるねぇ。」 小林さんにそう言ってもらって、少し自信がついた。 「スプーンはプリンのお皿にのっています。」 「コーヒーは一時の方向にあります。」 小林さんは、少し食べにくそうにしながらプリンを食べ始めた。 この時わたしは、スプーンのあつかいにくさのことを思い出した。 スプーンはえの部分が丸いと、どちらがすくう部分か分からなくてこまるそうだ。 「スプーンは、えの部分が平らな物を使うようにしています。」 と目が見えない方から聞いたことがある。 「一度置いたお皿の位置を良かれと思って変えてしまうことも、こんらんしてしまうのでやめてほしい。」 とも教わった。  六さいの弟は、お店に向かって歩いていた時から、 「何で白杖を階だんにぶつけるの?」 「白杖をかして!」 「どうして目が見えなくなったの?」 「今どんな風に見えるの?」 などと小林さんを質問ぜめにして、わたしをヒヤヒヤさせていた。小林さん、気分を悪くしてしまわないかな。 白杖は、目が見えない人にとっての目。 白杖は、目の見えない人の体の一部。 なのに白杖を貸してだなんて! けれど小林さんは、いやな顔ひとつせず、一つ一つていねいに答えてくれた。 「今では、目の前はいつも灰色の世界なんだよ。」 「ぼくのこと、こばちゃん、ってよんでね。」 小林さんって、やさしくて面白い人なんだ。 こばちゃんは、二十八さいの時までは目が良かった。その後、治りょう方法が無い病気で近いしょう来失明する、と眼科医にせんこくされる。ぜつ望的な気持ちでいた時に、十六さいの時から続けていたクライミングを、自分以外のしょうがいのある人たちにも伝えていきたいと思い立ち、パラクライマーとして活動するようになった。 「マイナス思考になる時に、しょうがいがあることのせいにするのはすごくかんたんでしょ。目が見えないと、周りが自分のことを考えてくれない、と思いがちになるけど、 社会や地球のことも考えられるようになりたいんだよね。視野が広い人でありたいんだ。」 目が見えない、ということはいつもきけんととなり合わせで、とてもこわいはずだ。わたしは、アイマスクを付けておそるおそる歩いた時のことを覚えている。何をするのも大変なはずなのに、社会や地球のことまで考えたいなんて、すごい。 わたしは自分のことだけでなく、周りの人や地球のことまで考えて行動できているかな。 母に言われたことがあるようなことだけれど、こばちゃんに言われて、わたしはハッとした。  目が見えない方のために何かしたい。 そう思っていたのに、わたしがこばちゃんに教えてもらっている。 「クライミングをしていて、目が見えていた時よりこわいと思ったことはありますか。」 「ないよ。」 「えっ!」 「目が見えなくなってから、クライミングをしていて、楽しいと思う時はどんな時ですか。」 「いつもだよ。全部楽しいよ。」 クライミングって、そんなに楽しいんだ! レストランを出て、こばちゃんとワクワクしながらクライミング会場に向かった。 「あぶない!」 歩いていると、男の人がわたしたちの目の前すれすれに横切っていった。 「そんなことばかりだよ。」 相手に対して無関心でいることや、無理解でいることは、心のバリアの一つである。と読んだことがある。 「ホームドアが無い駅が沢山ある、ってニュースになるでしょ。でも、日本は世界でも有数のバリアフリーの国なんだよ。」 世界中を旅するこばちゃんは、日本はしょうがい者にやさしい国だ、と言っていた。 でも、世の中はまだまだ心のバリアだらけなんだ。わたしは少し悲しくなった。 クライミング会場には、思ったより沢山のだん差があった。さっきより、こばちゃんと波長を合わせて階だんをのぼれたような気がする。 まず、クライミング専用のくつにはきかえる。クライミングする時のくつは、ふだんはいているくつのサイズより小さい方がよいみたいだ。少しきつく感じる。 次は、いよいよクライミングの部屋へ向かう。 クライミングをするのは今日が初めてだ。最初に説明を聞き、クライミングの練習から始める。 かべに付いている色とりどりの石は「ホールド」と言うらしい。 ホールドの下に、なんい度によって八色に分かれたテープがはってある。そのテープを目じるしにして登っていく。 次はみんなで自こしょうかい。子どもは弟とわたしの二人だけだ。 「早速グループに分かれてクライミングを始めましょう。」 わたしのグループは、ビーチという目が見えないクライミングのせん手と、目が見える女の方と、わたしの三人だ。 「だれから登りますか。」 と、聞かれたので、まずはビーチにお手本を見せてもらうことにした。 目が見えない方は、一人ではクライミングができない。だから、目が見えるわたしたちが登る人の目になって、ナビゲーションをするのだ。 その役わりの人のことを「ナビゲーター」とよぶ。 「ビーチのナビゲーター、やってみる?」 「はい!やってみます。」 ナビゲーターをするのも初ちょうせんだ。 何から説明してよいのか、とまどってしまう。的かくに、しかも早く伝えないとクライマーがつかれて落ちてしまうと思うと、よけいにきんちょうする。 「一時の方向に、上からつかめるホールドがあります。」 「九時の方向に、つかみにくいホールドがあります。」 これでちゃんと伝わっているかな。 目が見えないビーチの目になれているのかな。不安でいっぱいになった。 でも、ビーチはもっと不安になっていたかもしれない。 「げきちか?近い?ふつう?遠い?すごく遠い?」 ビーチが聞いてくる。 そうか! ビーチはホールドまでのきょりもわからないんだ。 方向(H)・きょり(K)・形(K)の HKKを伝えることが大切、と最初に習ったことをすっかりわすれてしまっていた。 「こっちでよいの?」 ビーチはホールドがある場所を足でさぐったり、指で指したりして、わたしにかくにんする。 すると、ビーチは目が見えているかのようにするすると登っていった。ナビゲーターをしたら、ビーチといっしょにわたしまでゴールしたような気分になった。 「HKKは教えるけれど、登り方を教えることはしないでね。」 こばちゃんに大事なことを言われた。考えて登るのがクライミングの面白さなので、自ら考えて取り組む楽しさをうばってはいけない。  ついに、わたしが登る番が来た。 少しきんちょうする。 落ちないで、ちゃんとゴールできるかな。 「ガンバ! ガンバ!」 ビーチはわたしのことを、自分のことのように必死でおうえんしてくれた。 何回ちょうせんしても、なかなかゴールまでたどり着かない。 手にあせをかいて、ホールドを思うようにつかめない。 「手にこなをつけるために、いったん下りようか。」 ホールド自体もぬるぬるになってしまうので、ブラシを付けた長いぼうでホールドをふいてもらう。 気を取り直して、さいチャレンジ。 両手で最後のホールドを五秒間ぐらいつかめたらゴール。 ホールドから手をはなして、次のホールドに持ちかえる時がとくにこわい。 「やったー。」 ついにゴール! ビーチとお姉さんと、ハイタッチの代わりにこぶしでタッチ! こんなに登れたのは、おうえんしてくれたビーチや、お姉さんのおかげだ。 最終的に一番下の八級二つと、七級一つがゴールできて、何だかほこらしかった。 登りきれるわけがないと思っていた高いかべを登れて、ゴールできた時はものすごい達成感だった。 「クライミングは、スピードを競う競技ではなくて、自分で目ひょうを決めて、自分のスピードで取り組むスポーツなんだよ。」 こばちゃんが言っていた通りだ! クライミングは、道具も使わないし、ルールもかんたんだ。しょうがい者のためにとくべつに作られたスポーツではないのに、目が見えないビーチも、目が見えるわたしもいっしょに夢中になれた。 ビーチやこばちゃんとは初めて会ったのに、クライミングをしたら友達になれたような気がする。 こばちゃんは言う。 「『助ける・助けられる』の関係ではなく、同じクライミング仲間として、たがいにかべを取りはらい、理解しあえる。クライミングを通じて、しょうがい、年れい、性別、文化などのちがいに関係なく、人々がささえ合い、安心して自分らしく生きることのできる社会を目指しているんだ。」 と。 こばちゃんに会った次の日、お礼のメールを書いた。そしたら、こばちゃんが返事をくれた。 いいことを続けるにはだれかがどこかでがんばらないといけないけど、楽しいことはみんなもっとどんどんやりたいから、そのままでも続いてゆくと思うんだよね。みんながもっと楽しい社会が広がっていったらいいよねぇ。 クライミングは、本当に楽しかった。また、みんなで登りたい。 「何かわたしにできることはありますか?」 わたしが目の見えない方にお会いして、見聞きして感じたことや、体験したことを周りに伝えること自体が、心のバリアフリーを広める活動になる、とこばちゃんは言ってくれた。 だからわたしは、こばちゃんと会った時のことを作文に書くことにした。 「知ること」が一番大切。 大好きなパラスイマーの一ノ瀬メイさんの言葉だ。知ることは心のバリアフリーの一歩になる。 新型コロナの時代になってから、月に一回金曜日の夜に、ズームで行われる目が見えない方・見えにくい方の交流会に参加させてもらっている。 今夜もわたしは、かれらと心でつながる。そして、知り続けるのだ。